「かみさま」を信じてしまう瞬間。
いつものごとく長々と書くエネルギーはないけど、書きたいからメモ的に書く。深夜のつぶやきです。
死んでるとき、死にかけてるときに限って、なぜかいつもきてくれるあなた。
これはかみさまからのメッセージなのか。
「まだ生きとけよ」って。
「お前まだやることあるぞ」って。
わたしには「できないこと」が多すぎて(「できない」は「ありがとうの種」っていうてるけど)
自信を失くしてるとき、自分の軽はずみな言動で誰かを傷つけて自分も傷つくとき(自業自得ってやつ)、「自分には何ができるんや」って悩んでるとき、、、
しょうもないかもしれんけど、自分の存在を自分で全否定してしまう。癖がまだある(=Beingの否定)。これはたぶん、めっちゃくっそつらいやつ。
「これができる」「あれができない」っていうDoingの無力感は向上心やほかの誰かとの交流につながるけど
Beingの否定は、そもそもの存在を否定すること(=「自分のいのち」とでも言い換えられるか)やから
たぶん、これがいちばん苦しい。しかも自分が自分を否定するのがいちばん苦しい。
誰も自分を否定なんかしてへんのに。ね。
世界はいつでもわたしを受け入れてくれてるのに。ね。
ま、
「自分=世界」やから、自分が閉じれば世界も閉じるし、自分がひらけば世界もまたひらく。
「とじてた世界」を、「自分のこころの扉」をひらいてくれるのは、決して自分だけじゃない。
「自分以外のだれか」によってひらかれることが往往にしてある。
だから、
あなたがいてわたしがいる。
わたしはそんな世界を生きてる。
ありがとう🍀