あいぼん哲学

考えない哲学者?あいぼんのアタマとココロの中。好き勝手に書いてます☺︎

〝愛が必要だ〟という呪縛。






わたしたちが生きる上で、自分を自由にするのも自分を解放するのもそれはいつだって他の誰でもない自分自身。



わたしにもまだまだメンタルブロックがある。



自分で意識できる10%に満たない顕在意識、表層意識ではなく自分ではわからない90%以上の潜在意識、さらには無意識がまだまだわたしを守ってくれようとしている。

過去にわたしが傷ついた経験をトラウマとして同じような出来事が起こったとき、また傷つきそうになったとき、わたしが傷つかないようにバリアを張ってくれている。でも、そのバリアがわたしを苦しめる。



昨日気づいたわたしの中のひとつのブロック。


それは〝愛さなきゃ、愛されなきゃいけない〟という愛の必要性という呪縛


「愛は地球を救う」とか「最も必要なものは愛だ」とか一見美しい言葉にわたしは未だに縛られ、自分を苦しめとったんやなって。




愛は最も美しく、愛は最も残酷でもある。

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進撃の巨人





この世界そのもの、すべてが愛だ(とわたしは思っていて)死ぬことも含め、いまここに生きていること、こうして存在していることがその答えではないか。


わたしたちはすでにこの存在を無条件に承認されている。



この事実に気づくか、気づかないか。それは自分の腹でわかるしかない。言葉だけをみたところで何も感じない。自分の腑に落ちた瞬間、何もかもが開けてくると思う。





愛に限らず〝〜が必要〟という考えと〝恐れ〟はセットだ〝〜が必要〟にはその必要だと思い込んでいるものを失うことへの〝怖れ〟がついてくる。



お金が必要。家が必要。恋人が必要。家族が必要。仕事が必要。夢が必要。才能が必要。時間が必要。人脈が必要。承認が必要。思いやりが必要。、、、、、、、、、、、、、



まったくもって、そんなことはない。そんなの自分が作ったでっちあげだ。



〝必要〟には〝依存〟が生まれ〝依存〟が〝恐れ〟を生む。



〝必要〟を手放した瞬間から手に入る。明け渡したら入ってくる。一見すると矛盾しているかのような法則。


根源のエネルギーが執着して離さない〝恐れ〟ではなく、ただた自由な〝〟に変わるから(だとわたしは思っている)




〝必要〟とすることが悪いわけじゃなくて〝それってほんまなんかな?〟って問うこと。常識と呼ばれる壁に疑問を持つこと。思考停止しないこと。ちゃんと自分で感じてみること。


この姿勢が大切なんじゃないかと。
自分の枠を広げたいとき、今の自分の限界を壊したいときには。





もっともっと自分の中にある固定観念壊していきたい。
そしてどこまでも自由でいたい。
わたしは。




固定観念があることが、常識を持つことが〝悪い〟と言いたいわけではなく。


わたしはただただもっともっと広くありたい。
底抜けに、天井もない自由なこころを持っていたい。


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それだけや。







愛と笑顔と祭りと夢と🌍💓



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