あいぼん哲学

考えない哲学者?あいぼんのアタマとココロの中。好き勝手に書いてます☺︎

【1/100】あいぼんにiPhoneを。自立から依存へ。






どもどもー!前回の記事でこんな宣言をしました(^O^)


#打席に立とうキャンペーンとはわたしの思いつきや願望を発信する場で、いわば自分自身への宣言とピンときたらみなさん一緒に遊びませんか?というお誘いでもあります。


「NYヒッチ」もある意味打席に立った感はあります。てか、立ちました。




ですが!映えある1回目の#打席に立とうキャンペーンは!!!!!!!









どうゆうこっちゃと言いますと、読んで字のごとくあいぼんiPhoneを買ってくださいという完全なるワガママなお願いです。完全なるダジャレです。「iPhoneがさ〜」ときこえると、10000000回中800回は振り向いていると思います。



でも、これはおふざけのようでガチ募です。どんだけガチかは全部読んだらわかります。ガチで。





なぜこの打席に立とうと思ったのか

わたしはこの3月で大学を卒業し、その後は一般的な就職はせず、自分を50円でレンタルぼんぼんしたり、5円玉を配ったり【神様現る】50円が5万円になったから全部5円玉にしようと思う。 - あいぼん哲学して、まずは日本中を周ろうと目論んでおります。ありがたいことにどちらもめちゃめちゃおもろい感じになってきてて、毎日ワクワクハッピーなんですが。

なんせ、お金がない!!!いや、あるのだけれど、ない!!!笑

なので、毎月の固定費を下げよう!!!「固定費といえば家と携帯やな?」ってことで。「思いついたってことは打席に立たねば名が腐る!あいぼんの名にかけてiPhone!!」ということで。ここにお願いした次第でございます。


でも。ただただ「あいぼんiPhoneを買ってあげたい」なんて神様はきっと現れない(いや、現れると確信しているのですがwなぜかいつものごとく謎の自信w)と思うので。以下にあいぼんiPhoneを買い与えるとこんないいことがあるよ?ということを書き連ねたいと思います。チェケ(^◇^)





毎月毎日毎秒毎瞬「ありがとう」を贈ります

今やスマートフォンは生活必需品。これでわたしたち人類の生活は一変しました。肌身離さず持ち歩くまさに相棒というやつです。彼氏よりも家族よりも一緒にいます。中にはおふろまで一緒の人も。で、わたしももちろんその一人。特にわたしはとにかくよく発信をします。このブログをはじめ、TwitterFacebook、LINE@、、、(インスタはしてない!)思いついたことはすぐにスマホにメモするし、こやつがいないとわたしの生活は危ぶまれます。パソコンはなくても平気(笑)

なので、もしもあなたがあいぼんiPhoneを買ってくださったならば、わたしはほぼ毎瞬毎瞬、あなたに「ありがとう」「ありがとう」「バヤルララー(モンゴル語のありがとう)」と感謝します。感謝のパワーというのは最もしあわせを感じられるとわたしは実感していて、わたしは毎瞬毎瞬、しあわせを感じられるとことになります。そしてその瞬間ごとに、わたしはあなたとこのしあわせを共有していると思うのです。わたしの「ありがとう」の念があなたに毎瞬毎瞬、届く。これって結構おもしろいことで、きっとあなたも無意識下にしあわせな状態にあるのではないか、と思うのです。これはあくまでわたしの仮説です。ある種の詐欺です(未来のしあわせを売っているのでw)

もし、この仮説に興味が湧き「もしかしてわたし、俺、僕、拙者、しあわせになっちゃう?」と思われたそこの感性ビンビン最高級なあなた。よかったらぜひぜひわたしと「ほんまにしあわせになるんかいな実験」を一緒にやってみませんか?




はい、以上。これだけです。ほかには思い浮かばなかったです。つまりわたしは、iPhoneという生活必需品の電子機器を介して「生の共有」がしたいのだ、という結論に至りました。


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あなたがいなけりゃ生きていけない

「自立だ自立だ」と言われる現代日本。若者の自立。女性の自立。お年寄りの自立、、、「自立すること」が美徳とされ「自立」できていないとどこか白い目でみられる。女性の地位が今よりも低く、どこか虐げられていた昔。「女性の自立」はその時代の人々の夢であった。今、100年前の人々が願っていた夢はほとんど全部叶っている。というかそれ以上のことが達成されている。わたしが卒論研究している新渡戸稲造氏が生きた時代。新渡戸氏は現代を予測していた。、、、お話がそれるので元に戻ります。

「自立」を目指したわたしたちは「しあわせ」になっているのか???

これがわたしの問いである。「我思う、故に我あり」のデカルト哲学は個人主義に拍車をかけた。それが近現代の礎である。しかし、いまや時代は大きく変わろうとしている。あらゆる方面でシェアの文化が浸透し、所有という概念が薄らいできている。それは特に若者に多い。「暗黒の20年」と呼ばれるバブル経済破綻後に生まれたわたしたち世代は、生まれたときから今までずっと不景気で、経済成長を経験していないし、これからに期待もしていない。少なくとも、わたしは。というかそれでいいと思っている。成長したら老いていく。それは自然の摂理である。人間も自然で、経済は人間が行う。「盛者必衰」の理はもちろん経済面にも適用する。それは何も悪いことではなく、むしろいいこと。てか、いいも悪いもない。これもただの流れであり、人間のわたしたちがやいやい言って動いたところでコントロールできるものではない、とわたしは思っていて。じゃあこの流れを楽しもうや〜と。めっちゃおもろい時代やんか〜と。目にみえるもの(お金)から目にみえないもの(何かとのつながり)へと移行している。まさに変革期。おもろすぎ。もちろんお金が悪いとか必要じゃないとかじゃなく。まあまたこれは別の機会に。


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長々と書きましたが、これ☝︎に限る(本は読んでいません)「君あり、故に我あり」サティシュ・クマールさんの言葉であるがこの思想は21世紀、これからの時代の礎であるとわたしは思っている。自己と他者の分断が行き過ぎ、二つの大きな世界大戦が起こった。まさにあの時代も「国」や「村」から「世界」「地球」意識の革命であったとわたしは思う。「暴力の世紀」といわれた20世紀を経験し、わたしたちは「平和」を求めている。「平和」は外に求めるものではなく、すでに、常に、いまここあなたの内にあるもの。ひとりひとりの内にある。そのこころの「平和」を感じさせてくれるのは分離ではなく「一体感」であり、それはまさに他者との「つながり」。誤解を恐れず言い換えると、他者への「依存」がしあわせを呼ぶ。だいすきなあの人の笑顔を思い浮かべると、自然と自分もしあわせになる。そんな経験は誰しもあるだろう。それがわたしの思う他者への「依存」である。

「君あり、故に我あり」

あなたがわたしにiPhoneを買った暁には「わたしは今、ひとりの人間(=あいぼん)を生かしているのだ」というただならぬ幸福感があなたの魂を満たすはずだ、と未来のしあわせを売る詐欺師のわたしは推測し、ひそかに期待しているのである。





ということで、わたしと「しあわせの共有」体験をされたいというドMな実験好きの方は、以下のいずれかの方法でご連絡くださればうれしいです。





今日も貴重ないのちの時間を使って読んでくださりありがとうございました(*^_^*)
実験は続く☞☞☞





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